葬祭場やホール、ご自宅での葬儀に出向いたします。急な葬儀のご依頼も、施主様のお気持ちに沿って柔軟に対応いたします。そのうえで、地域ごとの風習や文化を守り、故人様をしっかりとお見送りいたします。
ご葬儀に関して、分からないことやご不安なことなど多々あると思いますが、段取りのことや費用のこと、今後のお付き合いについてなど、ご遺族様のご事情を考慮しながらご相談をお受けいたしますので、遠慮なく照光寺までお問い合わせください。
ご依頼いただく際に、皆様がお気になされるのは寺院特有の「檀家」についてではないでしょうか。必ずしも入らなければいけない訳ではございませんが、ご依頼があれば年忌法要などのお手伝いもさせていただきます。
葬儀はご家族ごとに全く違うご事情やご要望があるかと存じます。
故人様のご供養はもちろん、照光寺では施主様へのサポートも行います。
些細な疑問だけでも結構です。ご相談お待ちしております。
照光寺では、ご法事・各種法要のご依頼・ご相談も承っております。
また、ご葬儀前であっても、仏事についてのご相談にも対応致しております。
ご法事を勤めるのにお困りの方や、長らくご法事をお勤めできていない方など、ご法事やその他、各種法要の件でお悩みのことがあれば、お気軽にご相談ください。
ご法事・法要には、ご自宅やホールなどへ出向いたしますが、本堂をご利用いただくこともできますので、ご要望の方はお申し付けください。
ご葬儀を他の菩提寺でされた方でも、年忌法要のご依頼を承ります。その他にもご事情やご要望がございましたら、まずは一度ご相談ください。
照光寺の開基は、平重盛(たいらのしげもり)の孫、盛綱(もりつな)の四男、長崎四郎照光(ながさきしろうてるみつ)と名乗り、出家し禅宗の僧となり、ここ石榑(いなべ市)に於いて一寺を建立し、南山長崎院照光寺(なんざんちょうきいんしょうこうじ)と名付けられました。遡ること延暦八(789)年、時の弘法大師(空海上人)が自らお彫り下さった弥陀如来像を本尊とし、真言宗寺院として護持発展してきましたが、宝治元(1247)年、時の住職澄念が、親鸞聖人に帰依し真宗に改宗されました。その後、浄土真宗本願寺派として現在の住職で二十三代目と受け継がれております。
中興の祖と言われる本願寺門主第八代蓮如上人(れんにょしょうにん)(1415~1499)が当山、照光寺へ御来寺になったのは、上人が35歳、宝徳元年(ほうとくがんねん)(1449)でありました。
宗祖親鸞聖人(しゅうそしんらんしょうにん)35歳のとき、越後の国府(こくふ)(現在の上越市)へ御流罪になってみえることを考えて、蓮如上人が北国御巡錫(ほっこくごじゅんしゃく)を思いたてられ、その途上のことと伺われます。その経路については定かではありませんが、一説によれば八風峠(はっぷうとうげ)(竜ヶ岳)を越えてこられたと言われています。1600年ごろは二百余の末寺を抱え伊勢三大寺の一つに数えられ、中本山格の寺院として御法義が伝えられました。
蓮如上人御来寺のご縁で毎年行われるご開帳は、その創始の年月は不明ですが照光寺現本堂が天保14年(1843)に起工され、その後数年にして大略再建されたことを記念して始められたと考えられます。ちなみに当山第18代住職隆恵の時代に、寺社御役所に対して、「蓮如上人の祥月に当たり宝物を三日間開帳するについて建礼を願い上げた」との文章があり、その願状に未2月とありますが、これは弘化4年(1847)2月であるから少なくとも、200年ほど、さかのぼることができます。
寺伝の宝物については種々ありますが、その主なものは高祖聖人(こうそしょうにん)親鸞聖人御木像(蓮如上人作)をはじめ、蓮如上人の六字名号、御愛用の念珠、御扇子など蓮如上人縁(ゆかり)のものを中心に 展示しております。
現在の全ての寺院に寺号の前に山号が付いていますのも、もともと仏教寺院は山間にしかなかった名残でした。住所、写真等をご覧頂いておわかりの通り、拙寺は歴史的にも古く、文字通り山にある寺院です。しかし、今の世の中において多くの方々に「動かざること山の如し」では仏教に触れて頂くことはかないません。如何なる時代であろうとも、人と人とのご縁(繋がり)を大切にしたいと思います。よろしくお願い申し上げます。
寺院名 | 南山 照光寺(なんざん しょうこうじ) |
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宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
住職名 | 長﨑 恵水(ながさき えすい) |
住所 | 〒511-0266 三重県いなべ市大安町石榑南1419 |
アクセス |
【公共機関の場合】 電車:三岐鉄道北勢線「大安」駅より車で10分 |
電話番号 |
050-8890-1893 050-8890-1893 |
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